講演会(トークショー)を主催されるみなさまに坂本三佳さんがお伝えしたいことをインタビューでまとめました!
TBS「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターを担当して18年以上!世界60カ国を訪れた旅の“好奇心”とは?
坂本三佳オリジナル“好奇心”発見リポート(A4)をご用意しております。どうかお楽しみに!!
坂本三佳オリジナル“好奇心”発見リポート(A4)をご用意しております。どうかお楽しみに!!
そうですね。私の場合は「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターになったのが、10代の頃でしたので、その当時、海外に行きたい!という願望が強くあったか?と聞かれると、「そこまで海外へ行きたい!」という憧れは、なかったかもしれません。
でも、いま考えてみると、学生の頃から「海外」を意識する“環境”は整っていたような気がします。高校生の時に友達に誘われて「英語劇部」に入ったことで、帰国子女の友達が自然と周りにいたというのは、不思議な運命だったと思います。英語のネイティブの発音だったり、文化だったりを直接、友達から聞けたというのは恵まれていましたね。
とはいえ、高校生だった当時、まさか後々、自分が世界60カ国を訪れるようになるとは、夢にも思ってなかったです。自分からどこかへ行ってみよう!とか、ましてや一人旅なんてできるタイプではなかったので。ホント、人生なにが起こるか、わかりませんね。いろんなことが予測不可能だから、面白いのかなあと思ったりします。
「運命に導かれ、
海外へ一歩踏み出すことに!
人生は予測不可能だから、面白い!」
もともと、一人の視聴者としてテレビで、「世界ふしぎ発見!」を見ていて、ミステリーハンターのみなさんの笑顔が素敵だなと感じていました。そんな中で、私自身がミステリーハンターのお仕事を頂いたときは、天にも昇るほどの嬉しい気持ちでいっぱいでした。中世ヨーロッパの貴族のお話を紐解いたり、いまだに解き明かされていない極上ミステリーを解明したり、いろいろ妄想が広がる中、私もどんな旅になるのかドキドキしていたんです。
でも、ミステリーハンターとしての最初のお仕事は、予想の斜め上をいくテーマでした。私が担当した最初のテーマは・・・「北京原人を探せ!」(笑)正直、「えーーーーー!?」という感じでした。
ミステリーハンターって優雅なイメージがあったんですけど、いきなり訪れたのは「ここはどこ?」という中国の山奥。もちろん、中国は初めてですし、テレビのリポートのお仕事も初めて。言葉も通じないし、お風呂も入れない。
そんな右も左も、いま自分がどこにいるかも分からない状態で、北京原人を探さなくてはいけない…。もう、戸惑いしかなかったですね。
そんな極限状態(笑)!?の中で、ふと、目覚めちゃったんです。自分が楽しまないと、見ている視聴者の皆さんには伝わらないのでは?と。
そこからは、どんな過酷なロケでも、“楽しい”をたくさん探すようになりました。
例えば、北京原人を探すロケで、好奇心を刺激されたのは、仙人みたいなおじいさんとの出会いですね。そのおじいさんは、北京原人を探すために家族と離れ、一人で山奥に入ってテント暮らしをしている方で「私は北京原人を見つけるまでヒゲを剃らない!」と熱く語ってくれたんですが・・・。よくみると、ものすごく長いヒゲだったので、相当見つかってないんだなあと、微笑ましい気持ちになったりして・・・。
普通なら「そういう仙人みたいな人がいるんだあ」で終わってしまうところですが、「ヒゲの長さ」という着眼点を自分で見つけてしまうと、とたんに“楽しく”なってくる。結局、好奇心は人から与えられるものじゃなくて、自分で見つけるものなんだなあ!と、その最初のロケで、旅の極意を会得出来たのかもしれません。
ちなみに、北京原人を探す旅の、次のミステリーハンターのお仕事は、アマゾンでのロケ。以来、過酷な旅は、坂本三佳で!というイメージになっちゃったかもしれませんね(笑)
最初の好奇心は、北京原人を探すこと!
ワクワクは自分で見つけると
面白さ100倍に!
これまで教科書の写真で見ていたマチュピチュ遺跡や恐竜の骨などが、自分のすぐ目の前に広がっていたときの感動は、ひとしおでしたね。例えば、マチュピチュ遺跡も、単なる観光スポットではなく、「人が生活を営んでいた場所なんだ」と思えたり、恐竜の骨を見て「この大地で、大きな恐竜たちが実際に歩いてたんだなあ」と想いをはせたりして。今ならSNSで“インスタ映え”する写真をたくさんアップしていたでしょうね。
もちろん、インスタ映えする“食文化”もたくさん体験してきました。パプアニューギニアの「カブトムシの幼虫」料理とか(笑)
おそらく、好奇心が高まってないと、食べることに戸惑いがあると思いますけど、私が現地で見つけた好奇心は・・・「ここで暮らす人たちにとって、カブトムシの幼虫は、とても大切なタンパク源で、訪れた客人に対して、最高のおもてなしの一品だということ」そんな話を聞いてしまったら、もう、私の中でワクワクが止まりませんから、なんの躊躇もなく、パクっと、美味しくいただけちゃいました(笑)気がついたら、5個くらい食べちゃっていました。
そんな中で、私が一番印象に残っているのは、タンザニアの活火山のクレーターの中でのテント生活ですね。クレーターの中なので、そこには“大地”と“夜空”しかない。見上げると、夜空が星で埋め尽くされていて、あんなにたくさんの星の数を見たのは、初めてでした。大地に大の字で寝て星空を見上げていると、自分が宇宙に漂っているかのような錯覚がありました。
あとは、スリランカの大統領にお会い出来たり、クロアチアの悲しい戦争体験をおばあさんが涙ながらに話してくださったりしたのも、忘れられないですね。教科書では、詳しく語られていない“リアルな歴史”に触れることで、私たち日本人が知らなくてはいけない世界の出来事がまだまだたくさんあるんだと胸がいっぱいになりました。
タンザニアの
クレーターの中からみた満天の星空。
宇宙を感じた瞬間がそこに!
いまの時代ですと、スマホで写真をとってSNSに投稿する。というのが当たり前ですけど、私の場合は、超アナログな感じで旅の思い出を残してましたね。最初は、番組スタッフの方から、ロケの合間に撮った写真をいただいたのがきっかけだったんですが。この写真を「日記」の形で残したくなったんです。
お気に入りの日記帳に現像した写真を貼り付けて、そのときの想いも、つたない文章で書いたりして…。中には、使い捨てカメラで、慌てて撮影したハプニングのシーンがあって、ものすごく写真のピントがブレてたりするんですけど、またそういうのが、味わいというか、逆に良かったりするんですよね。
いまのSNSの時代って、「完璧な写真」を「人に見せるため」に撮影することが多いかもしれませんが、アナログ日記の場合は、人に見せるためじゃなくて、自分が後から見るために作るというか。写真のピントがボケてても、文章が下手でも、その瞬間の“想ひ”を残せるので好きです。
今では日記と写真が数えきれないほど残っていますけど、たまに読み返してみると、当時の自分に、すぐにタイムスリップできるので、書き上げてきた日記は、私の分身みたいなものですね。
ちなみに、思い返すと、父がそういう写真アルバムを作ることが好きな人だったので、もしかしたら、私の中に、父ゆずりの「お手製のアルバムづくり」への好奇心や情熱があったのかもしれません。そういう意味では、父に感謝ですね(笑)
旅の思い出は、手づくりの日記帳に。
人に見せるためじゃなく、
自分が見るために残す!
これだけ世界中を巡っていると、世界って決して遠いものではないなという感覚を持ちます。世界のニュースを見ていて、自分の行ったことのある場所で何かが起こると、その人たちの気持ちを想像してしまうというのがありますね。
世界中を巡ることで、頭の中でついつい「日本」と比較してしまう自分がいて。例えば、医療費や教育費が、ほとんどゼロ円という国を訪れたりすると、日本の税金の仕組みと、どう違うのかなとか。問題意識を持つようになってきましたね。
19年前の北京原人を探してた頃の自分には、そういう意識はあまりなかったですから、旅を通じて、私の好奇心が、まだまだ、進化して広がっていっているのが分かります。
海外で感じる“好奇心”って、人によって、いろいろな段階があって、「自然」や「街なみの美しさ」に感動したり、「食文化の違い」に驚いたりする好奇心もあれば、もう一歩踏み込んで、その国の「歴史」や「人々との交流」に楽しさを感じる好奇心もあります。
そしてさらには、私のように、その国の「政治・経済」にまで好奇心のベクトルを向けるというのもありですからね。
そうやって、いろいろな角度から好奇心を発見していくことで、改めて「日本」を考えてみる!というのが、本当の意味での、旅の達人なのかもしれません。
世界を見て、日本人としての誇りを持ちながら、異なる伝統や文化を柔軟に受け入れていくことが、これからの時代には必要じゃないかと思います。
好奇心の翼を世界中に広げることで、
より深く“日本”を
考えるきっかけになった!