元大関
当時の異名は「ピラニア」「相撲博士」
1947年4月27日生まれ。
1979年9月場所引退。
年寄・2代大島を襲名、分家独立して大島部屋を開設した。
引退後、大島部屋師匠に。
第63代横綱旭富士を筆頭に関脇・旭天鵬、小結・旭道山、旭豊、旭鷲山、幕内・旭豪山、旭里、旭南海、旭秀鵬、旭日松 10人の関取を育てあげた。
平成4年当時、外国出身力士の入門を自粛する方向にあったのにもかかわらず解雇も辞さない覚悟をもって、モンゴルから6人の新弟子をスカウトした。その後、3名は引退してモンゴルに帰国することに。残った3名中2名が関取になり、モンゴル人として初の関取・旭鷲山、旭天鵬となる。
2007年にモンゴルとナライハより日本の架け橋になった人として勲章を授与される。
1998年~2010年まで6基12年間の間、日本相撲協会理事を務めた。
闘魂という言葉を好み、四股名の下の斗雄も闘魂(斗魂)から付け、化粧廻しにも「斗魂」を染め抜いた物を好んで用いた。
しつこく食らい下がる取り口から「ピラニア」、研究熱心で巧みな技を使うことから「相撲博士」の異名があった。
腕が短く相手の廻しを取ることが困難な事から編み出された「とったり」は旭國の得意技であり、現役時代の頃には、「とったり」を持ち技する力士は、珍しかった。
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