福島レッドホープス監督兼オーナー/元プロ野球選手
1996年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。2000年にはレギュラーに定着し、初のゴールデングラブ賞も受賞。2001年に初のオールスターゲームにも出場、日本シリーズでは優秀選手賞に選ばれ、4年ぶりの日本一に大きく貢献した。
2006年には第1回WBCの日本代表に選出され、準決勝以降はケガで欠場するもラウンド2までは毎試合安打を記録するなど日本の第1回大会優勝に貢献した。2007年にタンパベイ・デビルレイズへ移籍。翌2008年には球団史上初のポストシーズン進出、地区優勝、リーグ優勝、ワールドシリーズ進出に貢献し、プレーだけでなく若手の多いチームで精神的支柱としても大活躍した。
2009年には2大会連続でWBC日本代表に選出され、チーム最多の7得点を記録するなど日本の大会2連覇に大きく貢献した。その後、アメリカではパイレーツ、アスレチックスでプレーし、2011年に日本に復帰後は楽天、ヤクルトで活躍。2015年からBCリーグに新規参入した福島ホープスの選手兼任監督に就任。2016年からは監督兼選手に加えて球団代表、そして解説者として四足の草鞋で活動。
現在は2017年9月の引退試合をもって選手生活にピリオドを打ち、福島ホープス監督として精力的に活動中。
日本代表でのWBC連覇や、デビルレイズ(現レイズ)でのリーグ優勝など、チームの主軸として世界で活躍してきた岩村明憲。彼の野球人生は順風満帆だったように思えるが、プロ入団当初はなかなか結果が出なかった。当時コーチだった中西太氏が彼のヘルメットの内側に書いた『何苦楚』という言葉。「人生は何ごとも苦しい時が自分の楚(いしずえ)を作るのだ」という言葉を胸に刻み活躍してきた。異国の地でただ一人の日本人が若いメジャーリーガー達を引っ張り、弱小球団デビルレイズを球団史上初の地区優勝、リーグ優勝そしてワールドシリーズ進出に導いた。また故郷、愛媛で自らの経験を伝えるために仲間のプロ野球選手らと結成したプロ野球愛媛県人会での活動など。そして現在、監督として福島ホープスで福島の希望となるべく活躍する、岩村明憲の野球から学んだ人生、伝えたいことをお話し致します。