元プロ野球選手/プロ野球コーチ
安田学園高校から1983年のドラフト3位でヤクルトスワローズに捕手として入団。後に外野手に転向。1992年に、自己最多出場。日本シリーズでも活躍。96年オフにトレードで日本ハムファイターズへ移籍。1998年に左右の代打の切り札として活躍。
2000年10月22日に阪神の監督に就任していた野村克也に請われ、阪神タイガースへ移籍。同年、現役を引退。2005年に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスに野村克也の監督招聘計画の際、野村の野球理論を理解しているコーチとして二軍外野守備・走塁コーチ、一軍外野守備・走塁コーチに、2007年からは野村の下でヘッドコーチに昇格。2009年に野村の退任と同時に楽天を退団。
楽天コーチ退任後は野球評論家として活動。
2010年にベースボール・チャレンジ・リーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督に就任。チーム史上初となるリーグチャンピオンシップに導いたが2011年に退団。同年、読売ジャイアンツの一軍戦略コーチに就任。さらに野球日本代表の戦略コーチも務めた。2014年より一軍打撃コーチに転任。3連覇に貢献した。同年シーズン終了後、球団を退団。10月29日、楽天のヘッドコーチに復帰。2015年シーズン最終戦終了後に退団。2016年シーズンからは埼玉西武ライオンズの一軍作戦コーチに就任。2017年からは、一軍野手総合コーチに就任。2018年には、一軍作戦コーチに肩書きが変わる。2018年CSファイナルステージ敗退後、辞任。
2019年シーズンから東京ヤクルトスワローズの二軍チーフコーチに就任。1996年以来26年ぶりの古巣復帰となる。2019年9月29日に退団を発表。
「教えすぎるな、根気強く見守れ、耳を傾けろ!??」
名将・野村克也のヘッドコーチとして、原辰徳の政権を支え、2018年には西武ライオンズの10年ぶりリーグ優勝に貢献した最強コーチ。これまでに培った組織を強くする、選手の才能を育てるノウハウをすべて明かします。楽天、巨人、西武など個々の選手との指導の現場、日本シリーズ、日本代表など、人と組織を動かす言葉の強さは、ビジネスの現場にも応用できる。
・野球という競技
・野球との出会い
・プロでの苦悩や努力するにあたってのモチベーションとは?
・引退し、選手という立場からコーチへと転身。「コーチ」という役割とは?
・コーチとなり、選手との関係。
・野村監督の「ミーティング術」とは?
・なぜ、他球団の監督と野村監督は違うのか?
・監督独自の組織論、リーダー観、育成術、人生哲学 etc...とは?
・選手たちに繰り返し説き、弱小集団を変えたものとは?
・12年間にわたって、野村監督の教えを受けてきた自身の影響とは?
・監督「野村克也」という人物とは?
・練習や試合においての野村克也の考え、指示とは?
・野村克也の「ミーティング術」
・監督の捕手論、投球術、打撃術、などの野球理論とは?
・組織作り、育成術まで「野村の考え」とは?
・12年間にわたって、野村監督の教えを受けてきたからこそ知っている「野村再生工場」の極意とは?
・選手たちへの影響、その結果とは?
・自身も学んで分かった「アスリートにとって重要なこととは?」
・これからの世代に伝えたいこと。