バレーボールプロ監督/オリンピアン
― 結果で示す”闘将” ―
日本人初のプロバレーボール選手として海外リーグでのプレー経験を持ち、国内で所属した全てのチームで優勝した華やかな実績から「優勝請負人」と呼ばれた。アテネ五輪世界最終予選では、「最後の切り札」として7年振りに全日本女子代表に招集され、主将に抜擢される。「闘将」の異名で知られ、精神的支柱としてチームを牽引、途切れた五輪出場の歴史を復活させた。引退後、指導者を目指して筑波大学大学院で体育学修士課程を修了。試合解説やクリニックの活動と並行して、大東文化大学講師も務めた。また、Vリーグ初の女性理事に就任。引退から9年、国内リーグ監督としてバレー界に本格復帰した。'16年、就任1年目でVプレミアリーグ昇格に導く。