リオデジャネイロオリンピックトライアスロン日本代表監督/(公財)日本オリンピック委員会ナショナルコーチ/(公社)日本トライアスロン連合常務理事/トーシンパートナーズチームケンズ監督
日本大学を卒業後、教員となったが、怪我のリハビリで始めたトライアスロンで勝負することを決意し、退職。
日本トライアスロン界のプロ第1号として活躍。現役引退後、世界での戦いを視野に指導者として活動を始めた。
トライアスロンがオリンピック正式競技となった2000年シドニーオリンピック以降、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロの全大会で監督、コーチとして指揮をとり、北京オリンピックでは井出を5位入賞に導いた。
また、アジア競技大会では2010年広州大会では男女ともに金・銀メダルを独占(4人出場の4人の完全制覇)、2014年仁川大会でも男女ともに金・銀メダルを独占、さらにミックスリレーでも金メダルを獲得し、5人出場の5人全員がメダルを獲得する完全制覇を成し遂げた。
2010年シンガポールユースオリンピックでも佐藤が金メダルを獲得、2014年南京大会でも久保埜を5位入賞に導いた。
強豪野球部の顧問として甲子園出場、その後教員免許を投げ捨てプロアスリートとして闘ってきた飯島氏。また、現役時代だけではなく、現在も日本代表を率いて世界を転戦してきた経験や、引退直後は協会関連の仕事があったにも関わらず、「働く意味とは何か?」を追求し、自ら地下鉄工事の作業員として100日間働いていたエピソードもある。
3つの種目を一人でこなす過酷なスポーツ「トライアスロン」は、練習をただ積むだけではなく、最後は自己との戦いに勝たなければならない。苦しさの中でも冷静な判断が必要となってくる。国際人としても通用する自立した選手を育てるためには何をすれば良いのか。自ら世界に飛び込み、世界で学び、プロトライアスリート第一号となった飯島氏が選手時代にどのように自信をつけて来られたのか、また指導者として何を考え実践しているのかお話しする。
代表監督といえども連盟や選手、さらには選手の所属チームなど様々な人々の間に挟まれ、その苦労は絶えない。また女子トライアスロンチームの監督としても女子アスリートのマネジメントという非常に難しい課題に立ち向かってきた。まだ歴史の浅いトライアスロン界を選手・指導者として牽引してきた飯島の苦悩と、いかに克服し立ち回ってきたかを皆様にお話し致します。
プロデューサー/経済キ...