“歩く100億円”名古屋のレストランチェーン・よし川グループ代表
13人兄弟の末っ子として生まれる。
幼いころに父親を亡くし、独立した兄弟たちとは離れて母とふたりで、布団・火鉢・梅干の壷だけを乗せたリヤカーを引いて田舎から名古屋へ。生きてゆくために、母と共に住み込みで働きながら、学校へ通わなくてはならなかったが、親の生きざまを見て、その姿勢から教わった自身の持ち前の明るさ、強さで貧しさを感じることなく育った。
おにぎり一つも食べられない生活の中で、母の料理上手なところを学び、それをヒントに「美味しいものを売るほど食べてみたい・・・」と飲食業を開始。百貨店のビュッフェに手作り料理を仕出し、独自のハンバーグと豚汁が安くて美味しいと大当たり、儲かった資金で喫茶店を出店する。「びっくりどんぶり」と「ぶたぞう」が大ヒットに!(登録商標取得)
当時は住む家が無く、母に豪邸を建ててあげたいという思いがあり、豪邸という言葉があまりに派手だったため辞書を引いたら、アメリカの豪邸は「マンション」だったので、母にマンション(豪邸)を建ててあげる約束をした。計画半ばに、母が「私は心だけでいいから、人に貸せるようないいものを造ってはどうか?」とのアドバイスを受けた。
昭和38年、20代で「大幸マンション」を建設、オーナーとなる。当時、マンションという名前はなく、「マンション」の名付け親になった。経営の目処が立った昭和41年に「三芳商事」を設立して喫茶店のチェーン化に踏み切る。
昭和45年には「よし川」(料理部門)を設立。緑に囲まれた名古屋市にある高級住宅地・覚王山の一角に、一流料理人が腕を振るう、フランス料理レストラン、イタリア料理レストラン、日本料理店を集めた。
各店は、一本の道の両側に立ち並び、緑の庭園に包まれる。それを「よし川ビレッジ」と名付けた。
◆フランス料理レストラン レトワール・ドゥ・ジェアン
◆イタリア料理レストラン エノテカ
◆日本料理店 よし川新別館/繭の家
また13人兄弟の末っ子でいつもお古ばかり着ていたから、売るほど洋服が欲しい…と昭和49年に「クーク」(ファッション・プロダクション部門)を設立し、ファッション業界にも参入。
年齢不詳、独身、母と息子の3人家族。
その後、「マネーの虎」(日本テレビ系)で全国に知られる存在となる。
現在は「歩く百億円」の異名をとる、数々の大きな宝石をつけるスタイルをブランドに、各種テレビ番組に出演している。
『お店で、輝く宝石を身にまとい、食事中のお客様のテーブルを回るのは私の舞台。ひとつが何十億円のジュエリーはすべてが舞台衣装。仕事以外はいっさい身に付けない。グロテスクになるほど付ける(笑)のは、お客様に楽しんでいただきたいだけ。「真面目・忍耐・努力に勝る才能はない!成功に早道・近道・要領よくの道はない!」をモットーに、まだまだやりたいことが沢山。』と全女性から「すばらしき先輩」と思われる人生を目指して、すでに120歳まで計画が立っている。
講演/トークショー
・食について
・女性として、生き方について
・飲食店経営者として
・健康について など