2004年アテネ五輪アーティスティックスイミング銀メダリスト
3歳から水泳を始め、7歳でシンクロ(現アーティスティックスイミング)へ転向。12歳のジュニアオリンピックで優勝する。15歳でジュニア日本代表に選出。その後は日本代表Bとして数々の世界大会へ出場。21歳シドニー五輪最終選考会にて落選。引退を考えるも、戦友の言葉で自分を変えるきっかけとなり、翌年2001年福岡世界水泳選手権の初の日本代表チームメンバーに選ばれる。2004年アテネオリンピックでは、銀メダルを獲得。
現在は、TBSテレビ社員。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会メディア委員。日本スポーツ振興センター助成審査委員。日本スポーツ協会女性スポーツ委員会委員。日本オリンピック委員会表彰専門部会委員。流通経済大学スポーツスポーツ健康科学部スポーツコミュニケーション学科講師。2児の母。
講演/トークショー/その他(シンクロ教室)
習い事の1つとして始めた水泳。偶然に出会ったシンクロという競技に転向したことからいつの日かシンクロが生活の1部となり、1つ1つの山(大会や試練)を乗り越えると、オリンピックの舞台が近くに見えてきた。オリンピック選手になれるかもしれない、そう思ったときに落選。しかし、「五輪に出たい!」そう本気で思えるような、自分の変わるきっかけを作ってくれる友人がいた。その後死に物狂いで奮闘し、競技人生の最大の舞台であったオリンピックに出場できたこと、チームでメダル獲得に至った経緯をお話します。